丸駒百年

丸駒百年

丸駒温泉旅館は初代佐々木初太郎が大正4年(1915年)に温泉を発見し、その二年後開業致しました。「今日もニコニコ、明日もニコニコ」丸駒温泉旅館はこれからも、初太郎の築いた伝統を守り、 皆様に愛されるよう努力してまいります。

このように美しく、平和にあふれる世界は 見たことがない。

未開の地に温泉を探し当てた、初代の意志。

初代・佐々木初太郎

明治7年(1874年) 6月12日生まれ。 妻 トヨと共に明治30年 (1897年) 福島県から渡道。 湯治によって元気を取り 戻し、この地に根をおろして丸駒温泉を創業。 「このような美しく、 平和にあふれる世界は見たこと がない」 支笏湖の自然を愛し た初太郎の思いが、丸駒を築く 原点になりました。

「丸駒」名の由来

日本最北端の不凍湖、支笏 湖。
支笏湖畔に「初代」 佐々木初太郎 が温泉を開いたのは、大正4年 (1915年)のことでした。後 に名付けた「丸駒」は、当時恵庭 岳の麓で硫黄が採掘され、それ を運搬する馬がケガをした時 など、この地で癒やしたことが 由来と伝えられています。

原生林の中へ

明治43年(1910年) 千歳川上流 の王子製紙による発電所建設に 加わっていた初太郎は、神経痛を患い困っていました。 恵庭岳の麓 に白い煙が立ちこめて見えるという話を聞きつけ、早速妻のトヨ 調査に向かいます。その頃の支笏湖は湖畔を巡る道も無く、大自 然のなすがままにまかせた原生林でした。

温泉宿

初太郎の強い決意の甲斐あって 発見された温泉は、草ふきの小屋 から始まりました。湯治客、支笏湖の釣り客、 恵庭岳の登山客などが数多く訪 れるようになり、建物も増やして 少しずつ温泉宿の体裁を整えて いきます。お客様に頼られ、親し まれた創業者・初太郎は、自ら築 き、愛した丸駒で昭和2年(19 47年)1月30日、74年の人生を 全うしました。

永遠の泉

創業から変わることなく、こんこんと湧き続ける湯が天然温泉宿・ 丸駒の四季の風情を昔のままに 伝えます。温泉に入ることは、自然とふれあうこと、健康を守ること いのちを再生すること。だからこそ 授かり物の湯はそのままに・・・。
丸駒は、自然とともに生きる「日本秘湯を守る会」の一員として本物の温泉を守り続けます。

露天風呂 支笏湖

創業当時から変わらぬ姿を 守り続ける天然露天風呂 。 湖とつながっているため、 湖の同じになり ます。露天風呂の深さは年 によって変動によっ でも雨の多い時期は画面が 上がり、4月頃には50cm程度 まで浅くなります。雨の多かった平成12年(2000年)6月、支笏湖の水位が50年振りに1M50cmも上がり、露天風呂の深さは1M60cmにも達しました。

その姿 伝説となる

桟橋で遠ざかる船に向かっていつまで も手を振り続けるヨシエ。今もお客様の 心に残り語り継がれるその姿こそ、丸駒 のホスピタリティの原点となっている 感謝とおもてなしの証です。温かな思い やりの心を持っての接客が人気を呼び、 ヨシエの笑顔が忘れられず何度も何度も 丸駒へと足を運んでくださるお客様が 増えていきました。  

二代目・佐々木ヨシエ

初太郎の姪(妹の長女)にあたるヨシヱは19歳で丸駒に迎えら れ、後に初太郎夫妻の養子と結婚。 結婚生活は長く続きませんでし たが、その後も留まり温泉経営に 専念。 「丸駒のかあさん」「丸駒 のおばあちゃん」と長い間、 丸駒 の顔として親しまれるご共に、 戦後から高度成長期にかけての 激動の時代に丸駒温泉を支え、 大きく発展させました。

激動の波

札幌オリンピックを契機に、支笏湖を取 り巻く環境が大きく変わります。道路の整備、現在の 自家発電による電気の24時間点灯、電話 回線の開通など近代文明の恩恵が一気に押し寄せてきました。
温泉旅館として丸駒の礎を 築いたヨシエは、昭和 58年(1983年)5 月24日、75歳で半世 紀を超える丸駒での 生活に別れを告げま した。

優しく厳しい大自然

昭和42年(1967年) に陸路が開通するま では、船が唯一の交通手段でした。 日本最 北端の不凍湖で言われる支笏湖ですが、 こ れまでに何度か凍結し船さえ動かせない時 がありました。 また、 山津波など自然が牙を むくこどもあり、人が足を踏み入れるこざを拒 む大自然の脅威を思い知らされます。  

国立公園へ

北海道の雄大で原始的な自然と多種多様な動植物に満たされた支笏湖周辺の大自然は 昭和24年(1949年)5月、洞爺湖や登別、 有珠山などを含む 支笏洞爺国立公園に指定されました。 自然と共に生きて きた丸駒温泉は、国立公園のその中に含まれることになったのです。

湖畔の細腕繁盛記

初太郎の逝去で昭和22年(1947年) 3歳にして 「二代目」を継いだのが佐々木ヨシエです。折しも 敗戦後の混乱期。ヨシエのファンだったお客様が食料調達を買って出てくれるなど、女将を中心にお 客様と一緒に新しい丸胸を盛り立てていこうとい 雰囲気が出来上がりました。

新時代の幕開け

ヨシエが他界の後 「三代目」 となる金治郎が、 その意志を受け継ぎ 『より良いもてなし』のためのリニューアルを決意します。 昭和60年(1985年) 全面改装に着手。二期にわたる工事を経て、今の丸駒温泉が姿を現し新たなスタートを切りました。

おもてなしを世界へ

海外からのVIPや皇族、文化人や財界人の方にも 来泊していただく機会に恵まれ、 どんなお客様にも愛される宿づくりを意識せずにはいられません。 二代目・ヨシエが残してくれた言葉を、笑顔と感謝の心で表すこと。改めて接客の原点を胸にしています。

これからも地域とともに

丸駒の新時代を切り開いてきた三代目・ 金治郎が理念としたのは「こころの古里」です。丸駒に来る と心が癒される、古里に帰ったようにお客様が寛げる旅館を 目指しました。支笏湖の恵みに生かされ、お客様や地域の 人々に支えられ迎えた創業百年。